「うわっ!凄い…」

「あぁ…」

天井の中央にある暖色の光を発している巨大なシャンデリアが、その下にある広いバーカウンターを明るく照らし、その周囲には孤島のように丸い椅子とテーブルが点在している。

そこには大勢のハット帽を被った紳士や上品なドレスを着た淑女がテーブル席に座り、上流階級らしい弁えた振る舞いで酒を飲み交わしている。

室内はいくつもの間接照明を使用しているらしく、主張しすぎない夜の明かりを表現している。

そして何よりも目立つのは、奥の方から流れてくる弦、木管、金管、それぞれの楽器の特徴が活かされ奏でられた優美な音色が鼓膜を震えさす、オーケストラであった。

その演奏は室内に優美な音色を響かせ、室内の装飾をより一層上品なものに仕立てている。

その音色は、音楽にはズブの素人であるマイケルとカザンでさえ、格の違いが分かるほどのものであった。

 

「…なんだか、とんでもない場所に来ちゃったみたいだね。」


「…そのようだな。」


「え〜と、…どこに座る?」

カザンがバーカウンターに目を向けると、そこは身なりからして身分が明らかに違うような紳士や淑女が上品に飲んでおり、とてもこちらから近づける雰囲気ではなかった。

「…結構、いや、かなり混んでるな。」

「…ま、まぁ、このご時世、飲めるところは限られてるしね。」



「いらっしゃいませお客様、テーブル席でよろしいでしょうか?」

想像以上のバーであることに驚きながら二人で話していると、痩せ型で長身のバーテンダーが案内をしようと近寄ってきた。

「あ、はい、お願いします。」

「では、ご案内いたします。」

バーテンダーが案内してくれた席は、カウンターから離れたテーブル席の一つで、カップルなどが静かに談笑しながら飲んでいた。

 

 

「…カザン、何頼む?」

「…お前が先に頼んだらどうだ?」

「…こ、ここのバーって何頼めばいいんだろう?」

「…好きなものを頼めばいいだろう。」

「…だ、だよね。えっと、何頼もうか…うーん。カザンは何にするつもり?」

「…お前が先に頼めよ。」

「え、えっと、何を頼もうかなぁ…」

カザンとマイケルは、人並み程度にバーの雰囲気には慣れているつもりであったが、ここまで高級感のある店であるとは想像に及ばず、また経験もしたこともないことから、場違いであるように感じたのだ。

カザンとマイケルの二人が何を頼もうかと、長々と同じような繰り返しの会話をしている間、バーテンダーはテーブルの側で、笑顔を崩さず待ってくれていた。

その笑顔が、カザンには余計に申し訳なく感じた。

「…そ、それじゃあ〜ジャックダニエルをダ、ダブルでお願いします。カザンは?」

「ワイルドターキーをロックで。」

「かしこまりました。」

バーテンダーは注文を聞くと、一礼してからカウンターの方に歩いて行った。

 

「いやぁ〜凄いゴージャスな場所だね。」

「…そうだな。」

しばらくの間、沈黙が流れた。

なかなかオーダーできず、バーテンダーを待たせる状況は気まずいものであったが、バーテンダーがいない状況は、さらに気まずいものであった。

「…ところでマイケル。ここの紹介状、お前の顧客からもらったんだよな?」

気まずい雰囲気の中、カザンが口から絞り出すように言った。

「そいつは、かなりの大物なのか?」

「…確かに大物だけど、ここまで豪華なバーを紹介できるほどの大物だとは思ってもみなかったよ。」

「そうか…」

またしばらく沈黙が流れた。

不慣れな二人は、この場の雰囲気に完全に圧倒され萎縮してしまっていた。

本来なら感動するほどに優美なオーケストラの演奏も、今の二人にとってみれば、汗腺を滲ませるものですらあった。

「…これ飲んだら帰るか、マイケル。」

「うん、そうだね。」

「…」

「あの、お客様、少しよろしいでしょうか?」

気まずい沈黙の中、さっきのバーテンダーとは違う者が二人に話しかけてきた。

「席がとても混んでおりまして、こちらのお客様を相席させてもらってもよろしいでしょうか?」

そのバーテンダーから「お客様」と呼ばれたその男は、絶えずハンカチで額を拭いている中肉中背の男だった。息が荒く、落ち着かない様子で周りを見渡していた。

「あ、はい。僕たちもう少ししたら帰りますから、大丈夫です。いいよね?カザン。」

「あぁ。全く構わない。」

「ありがとうございます。さあ、どうぞお座りください。」

「…あ、あぁ、す、すまんな。」

「注文はどうされますか?」

「の、喉が渇いてね。み、水を一杯もらえないかね…」

「かしこまりました。」

男は息が詰まったようにどもりながら、掠れた声で水を一杯注文した。

マイケルは、この男が自分たちと同じように、この場違いな雰囲気に圧倒され萎縮してるのではないかと、少し同情してしまった。

「僕はマイケル、こっちはカザンって言います。えっと、あなたのお名前は?」

「…わ、私の名前は、ウィ、ウイリアムだ。」

「ウイリアムさん。今日はお一人でここに?」

「す、すまない、し、静かにしてくれないか…」

男は絶えず貧乏ゆすりをしており、懐中時計を頻繁に見ながら、とても落ち着かない様子でいた。

「…誰かと待ち合わせしてるのですか?」

「え、あ、いや、そ、その通りだ。すまんが、は、話しかけんでくれないか…」

「そうか、悪かった。」


貧乏ゆすりをしながら、懐中時計を見ては周りを見る。この動作を繰り返しているウイリアムを見て、カザンは何か不審なものを感じていた。

「お客様、ご注文のジャックダニエルのダブルとワイルドターキーのロックです。」

「あっ、ありがとう。」


バーボンに氷山型の氷が入れられたグラスは、小ぶりながらも酒の品質を際立たせる高級感のあるものであった。

「…ところでマイケル、廊下で話そうとしていた、このバーが警察相手に神経質なまでに慎重になる理由とはなんだろう?」

「あぁ、その理由はね…」


「すみません!通して下さい!すみません!」

マイケルがその理由を語ろうとした時、大きなトランペットを持った長身の黒人の男が、叫びながらオーケストラの方に向かって走ってきた。

「おい、危ないぞ!」


カザンがそう言い終わる前に、その男はカザンにぶつかり、カザンが手に持っていたグラスの酒が服にかかった。

「あ、すみません!じ、時間がなくて…これでどうか許してください!」


男はかなり申し訳なさそうに、慌ててポケットから何枚か紙幣を取り出し、カザンに渡して立ち去ろうとした。

その時、男のポケットから何枚かのコインが床に落ちたが、男は見向きもしなかった。

「そんなことはしなくていい…さっさと行け!」

「す、すみません…」


その紙幣は弁償代としては安すぎるものであり、カザンとしては大事な服を汚されたうえにこのような対応をされ苛立ちを感じたが、「悪気のないものには謝罪を求めない」という信条を持っていることから、気持ちを抑えたのだ。

それに加え、黒人の目には涙の跡があり、何かがあったと感じさせる顔をしていたため、一瞬温情の気持ちもはたらいた。

とはいえ、男が薄情にも慌ててこの場を立ち去った後は、許したことに後悔する気持ちも芽生えた。

「カ、カザン、大丈夫?」

マイケルが心配そうにカザンに声をかけた。

マイケルはカザンの昔ながらの友人であり、冷静そうに見えても内心は穏やかでないことを知っていた。

「…あぁ、マイケル、お前がそれを飲み終わったら、もう帰るぞ。」

「う、うん。そうだね。そうしよう…」

「お、おい待てや!この、こ、黒人野郎が!」

その時、突然ウイリアムが、甲高い大声を張り上げた。

「わしらに酒をぶ、ぶちまけといて、謝って済むと、お、思ってんのかあぁ!?」

 

オーケストラの演奏が止んだ。

 

〜 つづく 〜